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大阪地方裁判所 昭和52年(ワ)6308号 判決 1982年1月29日

原告

数瀬英子

(ほか七名)

右原告ら訴訟代理人弁護士

浦功

(ほか三名)

被告

黒川乳業株式会社

右代表者代表取締役

黒川繁八

右訴訟代理人弁護士

今中利昭

(ほか二名)

主文

一  原告伊沢倉次、原告川尻良信、原告田中繁の本件各訴を却下する。

二  原告数瀬英子、原告神田朝男、原告廣部文樹、原告田野尻聖子、原告朴時夫と被告との間で、右原告らは被告に対し、別紙勤務表のうち、上段の現行勤務表欄記載の勤務時間、休日の定めに従ってのみ就労の義務があり、同下段の変更勤務表欄記載の勤務時間、休日の定めに従って就労する義務のないことを確認する。

三  訴訟費用中、原告伊沢倉次、原告川尻良信、原告田中繁と被告との間に生じた分は、右原告ら三名の負担とし、その余は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告らの請求の趣旨

1  原告らと被告との間で、原告らが被告に対し、別紙勤務表のうち上段の現行勤務表欄に記載の勤務時間、休日の定めに従ってのみ就労の義務があり、同下段の変更勤務表欄記載の勤務時間、休日の定めに従って就労する義務のないことを確認する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する被告の答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  原告の請求の原因

1  (当事者)

被告は、コーヒー用クリームや学校給食の牛乳等の加工販売を業とし、大阪市北区旅篭町二五番地に本社を、豊中市に工場を、豊中市、堺市、神戸市、門真市に営業所を、それぞれ構え、昭和五二年当時、従業員数約一六〇名の、業界では中堅の株式会社(以下適宜被告会社という)である。

原告らは、いずれも被告会社と雇傭契約を結んでいる従業員であり、また関西地方の労働者を対象とする合同労働組合である関西単一労働組合(以下適宜関単労という)の組合員で、原告らで関西単一労働組合黒川乳業分会を構成している。

2  (本件労働協約)

関単労と被告会社は、昭和五〇年九月二五日、原告らの労働時間・休日等の労働条件を週休二日・週三五時間労働とする労働協約(以下本件労働協約という)を締結した外、原告らの労働条件を別紙勤務表上段の現行勤務表欄に記載のとおりとする一連の労働協約を結び、原告らは、被告会社において、右労働条件に従って就労してきた。

3  しかるに、被告は、昭和五二年五月一一日、原告らに対し、右労働条件を、別紙勤務表のうち、下段の変更勤務表欄に記載のとおりに変更してこれを実施する旨の内容を含む「会社再建案」の実施を通告する等して、原告らの別紙勤務表のうち上段の現行勤務表欄に記載の労働条件を否定したが、その後一旦これを撤回した。しかし、さらに、被告会社は、同年六月三〇日から右会社再建案を実施する旨通告して原告らに、別紙勤務表下段の変更勤務表欄に記載の労働条件に従って労働するよう求めた。

4  しかしながら、本件労働協約等一連の労働協約は、いずれも有効期間の定めのないものであるところ、被告から関単労に対し、労働組合法一五条三項、四項に基き、文書による本件労働協約解約の申入れは一切なされていないから、本件労働協約等一連の労働協約は、被告と関単労との間においては、現在も有効に存続している。

したがって、被告が原告らに対してなした前記3に記載の通告は、本件労働協約等一連の労働協約に反するものであるから、原告らに対しては何らの効力も有せず、原告らは、別紙勤務表上段の現行勤務表欄に記載の労働条件に従った労働義務があるに過ぎない。

5  仮に、右主張が理由がないとしても、原告らは、次に述べる理由により、別紙勤務表のうち、下段の変更勤務表欄に記載の労働条件に従って勤務する義務はない。

すなわち、本件労働協約等一連の労働協約で定められた労働時間、休日の定め等の労働条件は、労働者にとってもっとも基本的かつ重要な労働条件であるから、本件労働協約等一連の労働協約の有効期間中に採用された関単労の組合員である原告らについては、本件労働協約等一連の労働協約に定める別紙勤務表の上段の現行勤務表欄に記載の労働条件は、原告らの個々の労働契約の内容となっているものである。

したがって、本件労働協約等一連の労働協約がその後に破棄されたとしても、原告らの個々の労働契約の内容となっている別紙勤務表上段の現行勤務表欄に記載の労働条件には何らの影響もなく、被告が原告らの同意を得ずに、これを一方的に変更することはできないから、原告らは、右現行勤務表に記載の労働条件に従って労働をする義務があるに過ぎないのである。

6  よって、原告らは、被告との間で、別紙勤務表のうち上段の現行勤務表欄記載の勤務時間・休日の定めに従ってのみ就労の義務があり、別紙勤務表のうち下段の変更勤務表欄に記載のそれに従って就労する義務がないことの確認を求める。

二  請求の原因に対する被告の認否

請求原因1(当事者)のうち、原告伊沢、同川尻、同田中が現に被告会社の従業員であることは否認するが、その余の事実は認める。

同2、3の事実は認める。

同4ないし6の事実は争う。

三  被告の主張及び抗弁

1  (確認の利益)

原告らのうち、原告伊沢は、昭和五四年一月二七日に、原告川尻は、同年四月一三日に、原告田中は、昭和五五年五月二三日に、それぞれ被告会社を退職し、現に被告会社の従業員ではないから、右原告ら三名について、被告会社との間において、別紙勤務表の上段の現行勤務表欄に記載の就労義務のみがあって、同表下段の変更勤務表欄に記載の就労義務のないことの確認を求める確認の利益はない。

2  (事情変更による労働条件の変更)

本件労働協約(昭和五〇年九月二五日付協約)は、以下に述べる通り、事情変更を理由とする被告会社の破棄通告に基づき、昭和五二年九月一日以降破棄され、また、原告らの労働条件は、右同日以降別紙勤務表のうち下段の変更勤務表欄に記載の通りに変更されたものである。すなわち、

(一) 労働協約も、当該労働協約の内容が転化した個別的労働契約も、一の契約であるから、いずれも契約法理の適用を受ける。したがって、労働協約も個別的労働契約も、組合の団結権を侵害しない目的、性質、程度において、当事者の合意により、その契約内容を変更し得るのみならず、さらに、(1)労使間の諸般の事情が極端に変化し、(2)従前の契約(協約)内容を持続することが信義則に反するに至ったと認められる場合において、(3)当該事情の変更が変更を主張するものの責に帰すべからざる事情に基づき、(4)従前の契約(協約)成立当時予見できない性質程度のものであるときは、事情変更の法理により、会社は、契約(協約)内容を、一方的に変更ないし解除することができるものと解すべきである。

(二) そして、一般に、労働協約・雇傭契約等の労使関係は、経営の存続を前提として成り立つものであるところ、右協約・契約に拘束されれば、会社が倒産するような事情の変更があった場合にも、組合の承諾のない限り、その改正・改変が許されないとすれば、会社はただ倒産を待つばかりとなって極めて不合理であるから、このような場合には、会社には、信義則上事情変更の法理により、右協約・契約の内容を合理的な限度で一方的に変更する権利が与えられると解すべきである。

(三) これを本件についてみると、次の通りである。すなわち、

(1) (本件労働協約締結の経過)

(イ) 被告会社は、関単労との間で、昭和四九年四月一八日、「一日、七時間労働を基礎とした週休二日制については、可及的速かに労使が協議して、実施するように努力する。」旨の協定(<証拠略>の協定書五項参照)を締結した。

(ロ) そこで、被告会社は、その後、週休二日制の実施について、その具体的な検討を開始したところ、製造部門、配達等において、経費節減のできるメリットはあるが、製品日付の問題での得意先の説得、及び、週休二日制導入による人員補充について問題があり、被告会社は、これについて苦慮した。すなわち、被告会社の豊中工場及び各営業所における週休二日制の導入による最少必要人員増は、一応二四名ということになったが、被告会社の役員会において検討し、熟慮を重ねた結果、一六名の人員増で、週休二月制を導入することに決定したのである。

(ハ) なお、被告会社の昭和五〇年度の経理状況は、当期利益が金五五三万九〇〇〇円であって、昭和四九年度の一〇分の一に減少し(<証拠略>)、上半期の終了した昭和五〇年九月当時において、昭和五〇年度の決算は、思わしくないことが明らかであり、銀行からの借入金も増大傾向を示していた(<証拠略>)。

しかし、関単労及び総評全国一般大阪地方本部黒川乳業労働組合(以下、単に黒川労組という。)(被告会社の多数の従業員で組織されている組合)の週休二日制導入の要求は、根強いものであり、昭和四九年夏期一時金に関し、両組合の行ったストライキで、被告会社は、多大の損害を被っているうえに、週休二日制導入問題で、右両組合にストライキを実施された場合には、被告会社の倒産は必至であったので、被告会社は、週休二日制の導入による人件費の増大、牛乳鮮度に関する多くの障害を憂慮しつつも、やむなく、前記両組合の要求に屈し、昭和五〇年九月二五日、週休二日制、週三五時間労働を定めた本件労働協約を締結したのである。

(ニ) もっとも、右週休二日制導入に際しての団体交渉の過程において、関単労も黒川労組も、被告会社に対し、週休二日制になれば、被告会社の売上増加に協力し、遅刻、早退、欠勤を極力少なくして、社内秩序の混乱を解消し、生産性の向上に努める旨確約したので、被告会社は、関単労及び黒川労組の協力があれば、被告会社の経営努力によって、週休二日制を導入しても、これによる困難は克服できるものと考えて、週休二日制の導入に踏切り、本件労働協約を締結したのである。

(2) (被告会社の経営の極端な悪化と倒産の危機)

(イ) (人件費の増大)

被告会社は、関単労及び黒川労組との間に、昭和五〇年九月二五日、週休二日制・週三五時間労働等を内容とする本件労働協約を締結し、これを同年一〇月一日から実施したが、それ以来、期間利益が急減し、昭和五一年度は、当期利益が欠損となり、借入金も増加の一途を辿り、経営危機を招来するに至った。

右赤字決算を招来した大きな原因の一つは、週休二日制実施に伴う人件費の増大、ひいては一人当りの労働生産性の低下であって、これは、被告会社にとって不可抗力のものであり、その放漫経営等、被告会社の責に帰すべき事由は全くないものである。

被告会社は、生鮮牛乳の加工販売を業としているところ、牛乳は、他の生鮮食品と比較しても、特に腐敗し易いものであって、製造から納入まで、長時間を経過することは許されず、学校給食の例をとっても、古い牛乳は、集団食中毒の原因となり、食品衛生上、格別の新鮮さを要求されるのである。そのため、大阪にある同種の業者三七社中、週休二日制を実施している業者は他にないのであって、被告会社においても、週休二日制の実施後、土曜、日曜と連続して休業することは、牛乳を学校に納入するに際し、日付の古い牛乳を納入せざるを得ないこととなって、不可能であるので、各営業所においては、木曜日と日曜日を休業とし、二日間連続して休業をすることを避けた。その結果、被告会社では、合計一六名に及ぶ従業員を採用し、それだけ人員が増加したところ、この一六名の年間賃金は金三〇〇〇万円を超え、これをはじめとして、週休二日制の導入により、人件費が著しく増大し、昭和五〇年度の人件費は約金四億五七〇〇万円(売上高の約三〇パーセント)昭和五一年度の人件費は約金四億九五〇〇万円(売上高の約二九・一パーセント)となった。

そして、被告会社の人件費がその売上高に占める割合は、昭和四七年度は一八・九パーセント、同四八年度は二五・三パーセント、同四九年度は二六・六パーセントであって、週休二日制を実施した昭和五〇年度に至り、前記の如く三〇パーセントに増大したところ、乳業界において、人件費のその売上高に占める割合は、平均一七パーセントである。また、昭和五一年度労働生産性一覧表によれば、従業員一人当りの月売上金は、被告会社が約金八七万円であるのに対し、訴外明治乳業が金二九一万円、同森永乳業が金三二一万円、同雪印乳業が金二六八万円である。

このような高い人件費を要していては、到底企業間の競争に打ち勝つことはできず、被告会社は、やがて赤字決算に転落し、企業の存続に危機が訪れたのである。

なお、前述の通り、大阪における他の牛乳加工業者は、すべて週休一日制を採用しているので、週休二日制の被告会社に比し、顧客からの無理な注文を受け入れ、しかも、日付の新しい牛乳を納入することができたので、被告会社が週休二日制を採用した後は、被告会社の従前の顧客が他の業者に流れて、顧客、得意先の減少を招来し、人件費増大による被告会社の労働生産性の減少に拍車をかける結果となったのである。

(ロ) (設備投資)

次に、被告会社は、その経営が危険に陥った昭和五一年度、同五二年度にも、設備投資を行なっているが、これは資金的に余裕があって行なったものではなく、公害防止、機械の老朽化、食品衛生法上からの指摘、人件費削減の為の設備投資等、やむを得ない事情により行なったものである。すなわち、

まず、公害防止については、防音工事、排水処理設備工事、焼却炉の改善工事、工場周囲の防音塀工事等がある。

防音工事については、被告会社の豊中工場冷凍機室の機械音が高かったため、近隣の住民からその苦情が出た上、豊中市からも口頭勧告を受けたので、被告会社は、昭和五一年度に至り、金一三五〇万円を投じて、吸音材を張る工事を行い、同年九月これを完成させた。

排水処理設備については、昭和五一年三月、豊中市長から、被告会社の豊中工場排水が、排水基準に違反しているので、排水水質の改善を行うよう勧告されたため、被告会社は、昭和五二年度において、約五〇〇〇万円を投じて、訴外泰平建設株式会社及び同松下電器産業株式会社に対し、廃水土木工事及び排水処理装置を発注し、同年六月から同年一二月までの間に、排水処理設備工事を完了した。

焼却炉の改善工事については、焼却炉の送風モーターの音が高いところから、近隣住民の苦情があったので、被告会社は、昭和五二年一一月頃、送風モーターの取り替え工事を行った。

工場周囲の防音塀工事については、被告会社は、近隣住民の要請により、昭和五二年一〇月頃、工場敷地に高さ二メートル、長さ約九〇メートルのブロック塀を設置した。

機械の老朽化による設備投資については、税法上、乳機械の耐用年数は九年であり、被告会社の場合は、昭和五一年度五二年度が、その耐用年数の限界時期に該当したので、やむを得ずこれを交換したものである。ちなみに、同業他社の場合は、同一機械を四年ないし五年で新しく交換しているのに対し、被告会社は、九年間に亘って同一機械を使用してきたもので、右機械の交換は、真にやむを得ないものである。

次に、食品衛生法からの指摘の点については、豊中保健所からの行政指導が厳しくなり、牛乳ラインと乳製品ラインを明確に峻別する旨指導されたので、被告会社は、その主力製品であるクリーム類を製造販売していくための不可欠の設備投資として、建物増改築、ライン新設に基因する諸設備投資を行ったものである。

さらに、人件費削減のための設備投資については、手作業を機械化するための紙パックケーサー、ワンウエイコンベアーの導入等がある。

(ハ) (諸取引代金の支払時期延期等)

被告会社の使用する紙容器代金については、被告会社は、昭和五二年三月当時、月額約金八〇〇万円を、訴外テトラパック株式会社に支払っていた。この支払は、従前は、三カ月の支払手形で支払っていたのであるが、昭和五二年三月当時は、六カ月の支払手形で支払うようにしたい旨懇請して、その了承を得ていた。その上、昭和五二年三月ないし五月分の紙容器代金二八五〇万円については、その支払を一年間猶予する旨の承諾を得て、被告会社は、昭和五三年六月頃から同五五年一月までの二〇回の分割払いにして、漸くその支払を了したのである。

また、ショーケース関係の取引先である訴外サンデン株式会社、同東芝、同松下電器等の支払に関しても、手形の支払期を従前の三カ月から五カ月に変更し、クリーム代の添加物に関する訴外前田化学株式会社への代金支払に関しても、手形の支払期日を、従前の二カ月から三カ月に変更するなどして、被告会社の苦しい資金繰の窮状を何とか克服したのである。

(ニ) (社会保険料の支払状況)

被告会社における社会保険料の労使負担割合は、労働者が三、使用者が七となっており、被告会社の負担が高額に過ぎるので、被告会社では、従前から、社会保険料の支払を、一カ月分ずつ遅滞していたところ、昭和五二年二月分及び三月分の社会保険料合計一〇〇〇万円のうち金七〇〇万円が支払不能となった。

そこで、天満社会保険事務所は、被告会社に対し、右延滞社会保険料につき、厳しい督促をし、差押の通告もしてきたので、被告会社は、経済上の苦境を説明し、右金七〇〇万円を、昭和五二年五月から同五三年二月までの一〇回の分割払にすることの了承を得て、右社会保険料未払の問題を解決した。

(ホ) (被告会社従業員の賃金支払状況)

被告会社は、その従業員に対する賃金を遅配したことはないけれども、昭和五二年三月以降の賃金については、賃金支払日の午前中になっても、全額調達することは不可能であったので、再三、再四、その取引銀行に電話をし、学校給食代金の振込の有無を確認し、その振込まれた金員を直ちに払戻して、従業員に対し、その賃金を支払ってきたのである。

(ヘ) (被告会社・銀行間の融資の折衝)

被告会社は、銀行から借入れを受けるに際し、昭和五二年二月頃までは、不動産再評価による抵当権設定、販売計画書による銀行への説得等で、毎月末に何とか融資を受けていたのであるが、昭和五一年度の決算において、赤字決算となったため、このままでは、銀行から融資を受けることが不可能となった。

そこで、被告会社は、会社再建案を検討し、銀行との折衝に入ったのであるが、「従業員と協力し、何とか週休一日制、週四二時間労働で頑張って、被告会社を再建したい。」旨の被告会社の懇請、熱意により、銀行は、労働条件が変わり、生産性が向上する可能性があると判断して、漸く融資の承諾をしたのである。

(ト) (従業員の賞与)

被告会社では、従業員の一時金については、従来、銀行からの借入により支給してきたが、昭和五二年夏期一時金の際には、銀行からの借入の単なる増額が不可能であったため、被告会社は、種々折衝の結果、一時金一・三五カ月分のうち、〇・六五カ月分(総額にして約一五〇〇万円)を定期預金証書で支給することによって、銀行からの借入が漸く可能になったのである。

なお、一時金の一部を定期預金証書で支給する方式は、その後昭和五二年冬の一時金、同五三年夏・冬の一時金、同五四年夏の一時金についてもとられた。

(チ) (役員の賞与、報酬)

被告会社では、昭和五一年度は、その業績悪化のため、役員報酬は増額せず、賞与も半減させていたが、さらに、昭和五二年四月から同五四年三月までの二年間は、役員賞与を支給せず、報酬も一〇パーセント減額していた。

(リ) 以上の通り、被告会社は、昭和五〇年一〇月一日前記週休二日制、週三五時間労働を実施して以来、急速にその経営が悪化し、倒産の危機にさらされていたもので、週休二日制、週三五時間労働を改めない限り、被告会社の存続が不可能の状態となったもので、本件労働協約及びこれを内容とした労働契約を改めるための事情の変更があったものというべきである。

(3) (会社再建案の作成等)

(イ) 被告会社は、前述の通り、昭和五一年度が赤字決算になり、このままでは、昭和五二年度も、資本金相当の損失が計上されることが必至であり、銀行からの借入交渉も現状のままでは不可能となり、倒産の危機に直面することが明らかとなったので、昭和五二年になり、本件労働協約に基づく労働条件を全面的に改訂し、人件費を節減し、労働生産性を向上させることによって窮状を克服し、倒産回避の努力を行うことを役員会で決定し、昭和五二年三月、(証拠略)の会社再建案を作成したところ、当時の被告会社にとって、会社再建案とくに週休二日制、週三五時間労働の廃止は、被告会社存続のための唯一の活路であった。

(ロ) そして、被告会社は、関単労と、昭和五二年三月三一日、同年四月四日、同年四月二二日、同年四月二六日、同年五月七日の五回に亘り、被告会社の提案にかかる会社再建の具体策の一六項目について団体交渉を行い、その都度、被告会社の苦しい経営状態を、資金繰表、過去三年間の損益計算表、売上げ高に占める人件費の割合等を用いて詳細に説明したが、関単労は、「会社の作る資料は信用できない。会社は、絶対に倒産するものではないから、会社再建案を白紙撤回せよ。」と主張するのみで、被告会社の窮状の説明については、全く耳を貸そうとしなかったし、その後数回開いた団体交渉においても、関単労の態度は変らなかった。

(ハ) その間において、被告会社は、昭和五二年五月一一日、原告らを含む被告会社の各従業員に対し、「制度および計算基準変更について」と題する書面(<証拠略>)で、被告会社の会社再建案を実施する旨通告し、その労働時間延長を含む別紙勤務表のうち下段の変更勤務表欄に記載の労働条件に変更する旨の申入れをした。

(ニ) 一方、被告会社は、黒川労組との間においても、昭和五二年三月三一日以降、被告会社の再建案をめぐり、団体交渉を継続してきたのであるが、昭和五二年八月九日に至り、被告会社の窮状を理解した黒川労組は、被告会社と、「昭和五二年九月一日から週休二日制を廃止し、日曜日を除く六日勤務、週四〇時間労働制を実施する。」等を内容とする新たな労働協約(<証拠略>)(以下適宜新労働協約という)を締結した。

(ホ) 以上のように、被告会社では、昭和五二年八月一一日当時、被告会社の従業員の過半数組合である黒川労組が、週休一日制、週四〇時間労働の協約を締結しており、非組合員も、黒川労組と同調することが予想されたので、被告会社の従業員の九〇パーセント以上の者が、週休一日制、週四〇時間労働のもとに勤務することとなっていた。

このことも、本件労働協約を一方的に破棄し得る事情変更の一事由となるものである。

(4) (本件労働協約を持続することと信義則)

前述のとおり、被告会社では、昭和五二年八月一一日当時、その従業員のうち、九〇パーセント以上の者が、週休一日制、週四〇時間労働のもとに勤務することになったのに対し、関単労の組合員である原告らのみが、週休二日制、週三五時間労働で勤務し、しかも同一賃金を保障されることは、被告会社の従業員の間に不満を呼び、企業内秩序が混乱することになるし、また、被告会社の資金繰が、行き詰まり、前記(2)の如く、数多くの経済的危機を裏付ける具体的事実が生じ、被告会社が倒産の危機に瀕しているのに、同業他社に比較し、あまりの高労働条件を維持することは、不相当であって、これらのことや、被告会社が存続し得て初めて労働協約が存在価値を有すること等に照らしてみると、本件労働協約を存続することは信義則上許されないものというべきである。

(5) (被告会社の無帰責性)

被告会社の経理状況の極端な悪化の原因は、人件費の増大、返品率の増加、製品の製造日付が古くなることに基因する売上げの減少等であるが、これらはいずれも被告会社の責に帰すべからざる事情に基づくものである。

また、被告会社は役員報酬、賞与等にも検討を加え、経費節減に努力したのであるが、週休二日制、週三五時間労働の協約締結に際し、これからは、勤務態度を向上させ、売上げ増大に協力する旨明言した関単労が、その言葉とは裏腹に、依然として同一年令同一賃金の勤務体系に安住し、生産性向上に協力しなかったことも、会社経理状況の悪化に拍車をかけたものである。

したがって、被告会社の経営悪化等、前記(2)の事情が生じたことについて、被告会社には何らの責任もない。

(6) (事情変更の予見可能性)

被告会社は、昭和四九年度は金一億一四六四万四〇〇〇円(売上高の七・七パーセント)、昭和五〇年度は金三七一二万六〇〇〇円(売上高の二・四パーセント)の営業利益を出していたところ、週休二日制等を実施した後の昭和五一年度の決算は、約一五〇〇万円の赤字となり、昭和五二年度決算もさらに多額の赤字が予想され、会社が倒産の危機に直面したことは、昭和五〇年九月当時には、予見し得ざりし性質、程度のものであることは明らかである。

(7) 以上のとおり、昭和五二年八月一一日当時、被告会社には、事情変更の法理に基づき、本件労働協約の破棄及び本件労働条件変更を一方的にする権利があった。

そこで、被告会社は、関単労に対し、昭和五二年八月一一日、事情変更により、本件労働協約を破棄する旨口頭で告知し(以下適宜本件労働協約破棄という)、それと共に、同年九月一日から、被告会社が黒川労組との間に締結した別紙勤務表のうち下段の変更勤務表欄に記載の労働条件を含む同年八月九日付労働協約(<証拠略>)と同様の労働時間を実施する旨説明し、同月一六日通告書と題する書面を交付して、右破棄の意思表示を確認した。

したがって、右昭和五二年九月一日以降、原告らの労働条件は、別紙勤務表のうち下段の変更勤務表欄に記載の通り、変更されたのである。

3  (新労働協約の拡張適用)

(一) 被告会社と黒川労組は、前述の通り、昭和五二年八月九日、労働時間・休日等の労働条件につき、従前の週休二日・週三五時間労働から、週休一日・週四〇時間労働へと変更し、これを同年九月一日から実施する旨の労働協約(新労働協約)を結んだ。

(二) 新労働協約締結時、被告会社の全従業員中、労働組合員資格を有する者は一五一名で、そのうち関単労加入者は原告らを含む一一名であり、黒川労組加入者は八五名、労働組合非加入者(以下適宜非組合員という)は五五名であったところ、その頃労働組合非加入者右五五名は、被告会社に対し、新労働協約の適用を受けることを承諾していたから、右昭和五二年九月一日以降、新労働協約は、被告会社における労働組合員資格を有する従業員(同種の労働者)一五一名のうち、その四分の三以上の一四〇名者に適用されることになった。

(三) よって、新労働協約は、労働組合法一七条により、原告らにも、拡張適用されることになったものである。けだし、労組法一七条は、四分の一に満たない労働者が、組合を結成している場合には、その適用を除外する旨の明文の規定をおいていないのみならず、右の少数組合員である関単労が、多数組合である黒川労組の締結した労働協約よりも、さらに有利な内容の協約成立を目的として団体交渉、団体行動をすることは自由であるから、多数組合の労働協約を少数組合に適用しても、少数組合の自主性を奪うことにならないからである。

(四) そして、右の如く新労働協約の拡張適用によって、別紙勤務表の上段の現行勤務表欄に記載の労働条件のうち週休二日・週三五時間労働とする部分は、週休一日・週四〇時間労働に変更されたから、右限度では、原告らが右現行勤務表欄に記載の労働条件に従った就労義務の存在及び別紙勤務表のうち下段の変更勤務表欄に記載の労働条件に従った就労義務の不存在の確認を求める請求は理由がない。

4  なお、後記原告の主張23は争う。

四  被告の主張抗弁に対する原告の認否主張

1  被告の主張抗弁1のうち、原告伊沢が昭和五四年一月二七日に、原告川尻が同年四月一三日に、それぞれ被告会社を退職したことはいずれも認めるが、その余は争う。

同2 3は争う。

2  事情変更の原則は、労働協約締結の基礎がその後変更した場合で、かつ、労働協約締結の基礎が、協約締結時において、当事者が予見し得なかった事由、しかも事情変更を主張するものの責に帰すべからざる事由により、事情が変化した結果、当該協約の遵守を強制することが信義則上著しく不当ないし酷であると認められる場合に限って許容されるものである。ところで、

(一) 週休二日制実施のために、被告会社の従業員が一六名増員されたことはない。

すなわち、昭和五一年三月における被告会社の従業員数は、昭和五〇年一月にくらべ、わずかに一名増加しているに過ぎず、その間において、最も増加したときでも、五名の増加に過ぎないのであり(<証拠略>参照)、昭和五二年八月における人員増は零である。そして、被告会社が黒川労組と週休一日制の協定を締結した昭和五二年八月以降において、逆に被告会社の従業員数は増加しているのである。

なお、賃上げ、一時金の支給により、人件費は増大したが、そのことは、週休二日制の実施とは、全く無関係である。

(二) 次に、被告会社は、訴外明治乳業、同森永乳業等の大企業と比較して、被告会社における従業員の労働生産性が低い旨の主張をしているが、付加価値率の高いアイスクリーム、チーズ、バター等の製品を主とする右大企業と、その労働生産性を比較すること自体無意味であり、そもそも、被告会社と訴外明治乳業等大企業との間に、企業間競争など存在していないのである。

(三) 次に、週休二日制実施のために、人件費が増大し、得意先が減少したようなことはない。

昭和五〇年九月、関単労及び黒川労組と被告会社との間において、週体二日制の労働協約が締結されて以来、被告会社における牛乳配達は、それまでの週五日配達から基本的に隔日配達制へ移行したが、それ以後現在に至るまで、そのために得意先が減少したようなことはなく、むしろ増加しているのである。

そして、被告会社は、黒川労組と週休一日制を協定した昭和五二年八月以降も、隔日配達はそのまま続け、昭和五三年二月からは、それまで週五日配達をしていた得意先についても、隔日配達に切り替えたのである。

したがって、週休二日制の実施によって、従業員の増加を余儀なくされたことはなく(この旨は前記(一)に述べた通り)、却って、従業員を削減し、労働者に労働強化を強いているし、また、得意先が減少したこともないのである。

(四) 被告会社は、公害防止等の生産面からいえば「後向き」の設備投資を主張しているが、一方で、被告会社は、生産量増加にむけての多大の設備投資をしている。

すなわち、被告会社は、昭和五一年春から、販売専門会社である訴外関西近藤乳業株式会社と業務提携をし、そのために生産量を増大する必要があったので、製造設備に対する投資をし、ストレージタンク、パストライザー、配合タンクの各増設、ホモゲナイザー、殺菌機の増設ないし能力アップ、充填機、ケーサーの増設、冷凍機の能力アップを行い、これに伴う工場改造、充填室拡張、クリーム専用室の設置などをした。これらは、いずれも一時的な経費の増大を伴うものではあるが、それ以上に利益の回収につながるものであり、経営悪化の要因とはなし得ないものである。

(五) 次に、被告会社が仮に赤字経営になったとしても、その原因は、週休二日制の実施ではなく、むしろ、不況或いは被告会社経営陣の能力不足に基づくものである。

なお、昭和五二年度においては、株主に対し、金三二〇万円の中間配当がなされているし(<証拠略>)、また、昭和五二年以降においても、被告会社の労務顧問に対する顧問料、黒川繁八社長所有の不動産に対する被告会社の賃借料は支払われており、昭和五四年四月には被告会社の役員報酬が大巾に増額されている。これらの事実からすれば、被告会社主張の赤字については、労働者に犠牲を強いるのみで、被告会社の経営陣はその責任を分担していないのである。

(六) 被告会社主張の被告会社が昭和五二年八月訴外黒川労組と週休一日制の新労働協約を締結したことは、被告会社と関単労との間の本件労働協約を破棄するための「事情変更」の一事由となるものではない。もし、このように解さなければ、それは、少数組合の権利の否認以外の何ものでもないのである。

(七) 被告会社は、昭和四九年四月一八日、関単労及び黒川労組と、週休二日制に関する基本協定(<証拠略>)を締結した後、約一年半にわたり、週休二日制について、慎重に検討し、得意先等の根回しをした後にこれを実施したもので、このような経過を無視し、単に赤字が増えたからといって、これを理由に、「予見し得ざる事情の変更があった」として、本件労働協約を破棄することは許されないものというべきである。

3  次に、被告会社と黒川労組との間に締結された新労働協約を関単労に拡張して適用することは許されない。

すなわち、黒川労組と関単労は、別個の労働組合であり、関単労は、その団結権、団体交渉権に基づき、独自の判断によって、固有の労働協約を締結しているのであるから、黒川労組が結んだ労働協約を、関単労に加入する原告らに拡張して適用することは、原告らの団結権・団体交渉権を侵害するものであって許されない。

仮に黒川労組と被告会社との労働協約が、原告らに拡張適用されるとしても、それは、あくまでも最低労働基準確保の観点から認められるべきであるから、関単労と被告会社との間の本件労働協約が、黒川労組と被告会社との労働協約よりも有利な場合には、その拡張適用は否定されるべきである。

第三証拠(略)

理由

一  被告会社は、コーヒー用クリームや学校給食の牛乳等の加工販売を業とし、大阪市北区旅篭町二五番地に本社を、豊中市に工場を、豊中市、堺市、神戸市、門真市に営業所を、それぞれ構え、昭和五二年当時、従業員数約一六〇名の業界では中堅の株式会社であること、原告伊沢、同川尻、同田中を除くその余の原告らは、いずれも被告会社と雇傭契約を結んでいる従業員であり、また関西地方の労働者を対象とする合同労働組合である関西単一労働組台(関単労)の組合員で、原告伊沢、同川尻、同田中を除くその余の原告らで、関単労黒川乳業分会を構成していること、以上の事実については当事者間に争いがない。

二  次に、原告伊沢が昭和五四年一月二七日に、原告川尻が同年四月一三日に、それぞれ被告会社を退職したことは当事者間に争いがなく、また、(証拠略)によれば、原告田中が昭和五五年五月二三日に被告会社を退職したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

そうだとすれば、原告伊沢、同川尻、同田中は、いずれも現在は、被告会社の従業員ではないというべきであって、被告会社も、右原告ら三名については、被告会社に対して何らの就労義務もないと主張し、別紙勤務表のうち下段の変更勤務表欄に記載の労働条件に基づく就労義務があると主張していないことは、弁論の全趣旨から明らかであるから、右原告ら三名については、別紙勤務表のうち上段の現行勤務表欄に記載の労働条件に従った就労義務があり、同表下段の変更勤務表欄に記載の労働条件に従って就労する義務のないことの確認を求める請求は、確認の利益を欠き、右請求に関する訴は、不適法というべきである。

よって、原告伊沢、同川尻、同田中の本件訴は、確認の利益を欠き不適法として却下すべきである。

三  次に、関単労と被告会社は、昭和五〇年九月二五日、原告らの労働時間・休日等に関する労働条件を、週休二日・週三五時間労働とする労働協約(本件労働協約)を締結した外、原告らの労働条件を別紙勤務表上段の現行勤務表欄に記載のとおりとする一連の労働協約を結び、原告伊沢、同川尻、同田中を除くその余の原告らは、被告会社において、右労働条件に従って就労してきたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

四  ところで、被告は、関単労と被告会社との間に締結された本件労働協約は、その後の事情変更を理由に破棄されたと抗弁するので、以下この点につき判断する。

1  一般に、私法上の契約が締結された場合に、右契約締結当時における契約締結の基礎となった事情が、その後当事者の責に帰すべからざる事由によって変更し、かつ、その事情の変更が当事者において予見できないものであって、右契約関係を存続させることが、信義則上著しく不当と認められる場合には、当事者の一方の意思表示により、右契約関係を一方的に変更消滅させることができるものと解するのが相当であり、このことは、労働協約が締結された場合にも同様に解すべきである。以下これを本件についてみると、次の通りである。

2  被告が、昭和五二年五月一一日、原告伊沢、同川尻、同田中を除くその余の原告らに対し、別紙勤務表のうち上段の現行勤務表欄に記載の従前の労働条件を、事情変更を理由に、別紙変更勤務表のとおりに変更してこれを実施する旨の内容を含む「会社再建案」の実施を通告し(本件労働条件変更)、その後一旦これを撤回したが、改めて同年六月三〇日から右会社再建案を実施する旨通告して原告らに対し、別紙勤務表下段の変更勤務表欄に記載の労働条件に従って労働するよう求めたことは、当事者間に争いがない。

そして、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。すなわち、

(1)  被告会社は、関単労、黒川労組からの要求に応じ、昭和四八年に、全従業員に対し、別紙勤務表のうち上段の現行勤務表欄に記載の年次有給休暇・有給の特別休暇(但し慶弔休暇部分は昭和五〇年二月実施)を実施したが、更に右両労働組合からの強い要求もあって、昭和四九年四月一八日、関単労との労働協約で、一日七時間労働を基礎とした週休二日について、可及的速かに労使が協議して実施するように努力する旨取決める等して(<証拠略>)、全従業員を対象に週休二日・週三五時間労働実施の方向で検討に入ったこと、

(2)  被告会社では、右週休二日・週三五時間労働の実施に先立ち、これを実施した場合には、生鮮食品である乳製品の鮮度が低下したり、或いは、従業員を増加しなければならず、そのための人件費負担が増加すること等の問題が生ずると考えていたこと、

(3)  しかし、被告会社は、関単労と黒川労組が、週休二日制を強く要求すると共に、週休二日制実施後は、被告会社の生産性向上に協力する旨述べたこと等もあって、週休二日・週三五時間労働実施に踏みきることにしたこと、

(4)  そこで、被告会社は、生鮮牛乳等を扱う被告会社の営業の性質上、全社一斉に二日連続休業とするのは困難なところから、日曜日は、一斉休業とするも、他の曜日は営業し、従業員は、木曜日と金曜日に交替で休む形で体制を整えることとし、また、得意先に対しては、被告会社の従業員の週休二日制実施に伴なって、隔日に配達することの理解を求めることにしたこと、

(5)  そして、被告会社は、右の如き準備をした上で、昭和五〇年九月二五日、関単労及び黒川労組とそれぞれ労働協約(本件労働協約)を結び、昭和五〇年一〇月一日から右週休二日・週三五時間労働を実施し、それ以降、被告会社においては、全従業員が、別紙勤務表の上段の現行勤務表欄に記載の労働条件(但し、慶弔休暇部分は昭和五〇年二月実施)による就労をして来たこと、

(6)  ところが、被告会社は、昭和五一年度(同年二月から翌年一月まで)の決算の期間収支が赤字となったので、昭和五二年三月末から、関単労及び黒川労組並びに全従業員に対し、別紙勤務表の上段の現行勤務表欄に記載の労働条件のままでは、被告会社は倒産するとして、経営の危機を強く訴え、同年五月一一日、その労働条件を週休一日・週四二時間労働等を内容とする別紙勤務表の下段の変更勤務表欄に記載の労働条件に変更し、これを実施する旨の内容を含む「会社再建案」を示したこと、しかし、このことについては、関単労や黒川労組及び従業員の反対が強かったので、現実に実施するには至らなかったこと、

(7)  次に、被告会社は、昭和五二年八月九日、黒川労組との間に、従前の労働条件(別紙勤務表上段の現行勤務表欄に記載のもの)の内、とりあえず、週休二日・週三五時間労働の点だけを週休一日・週四〇時間労働に変更し(以下適宜修正労働条件という)、これを同年九月一日から実施する旨を内容とする労働協約(新労働協約)(<証拠略>)を結んだこと、

(8)  また、被告会社の従業員で、労働組合加入資格を有していながら、現実には労働組合に加入していない者も、同年八月一三日頃被告会社と黒川労組との間の右新労働協約のとおり、同年九月一日から労働条件を週休一日・週四〇時間に変更することを承諾したこと(<証拠略>)

(9)  しかしながら、関単労及び原告伊沢、同川尻、同田中を除くその余の原告らは、本件労働協約等に従った労働条件(別紙勤務表の上段の現行勤務表欄に記載のもの)を、「会社再建案」所定のもの(別紙勤務表の下段の変更勤務表欄に記載のもの)や、被告会社と黒川労組との間に締結された新労働協約によるもの(修正労働条件)に変更することを承諾せず、従前の労働条件(別紙勤務表の上段の現行勤務表欄に記載のもの)に従って就労し続けていること、

以上の事実が認められる。

3  次に、(証拠略)によれば、被告会社は、毎年二月から翌年一月までの間を年度として、年一回の決算を行なっているところ、昭和四九年度決算では、空前の期間利益五〇九一万余円を出したが、昭和五〇年度決算では、期間利益五五三万余円と前年度の約一〇分の一に減少し、昭和五一年度決算では、期間損失一四六七万余円の赤字を出すに至ったことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

4  ところで、被告会社は、昭和五〇年一〇月一日から週休二日制を実施したため、合計一六名に及ぶ従業員を採用し、それだけ人件費が増加したとし、これが一因となって、昭和五一年度には前記の如き赤字を出したと主張し、本件労働協約締結後に事情の変更があったと主張している。しかしながら、

(一)  被告会社において週休二日制を実施したためにその従業員数が被告会社主張の如く増加したとしても、(人証略)によれば、被告会社においては、週休二日制を実施した後には、若干の従業員の増加もあり得ることを予め予測していたことが認められるから、右従業員の増加を理由とし、週休二日制に関する本件労働協約締結後に事情の変更があったとして、本件労働協約を破棄することは許されないものというべきである。

(二)  のみならず、被告会社において週休二日制を実施した後に、被告会社主張の如くその従業員が増加して人件費がふえたとの事実を窺わせる(人証略)はたやすく信用できず、他に右事実を認め得る証拠はない。

却って、(証拠略)によれば、次の事実が認められる。すなわち、(イ)被告会社では、週休二日制を実施した昭和五〇年一〇月一日から昭和五〇年度の決算期の終期に当る昭和五一年一月までの五ケ月間に、合計五名の従業員を新規採用したのに対し、同数の五名が退職していること(<証拠略>)、したがって、右期間中は、被告会社が週休二日制を実施したために、被告会社の従業員が特に増加したようなことはないこと、(ロ)ただ、被告会社では、昭和五一年二月から同五二年一月までの一年間に、合計二七名の者を新規採用したのに対し、合計一五名が退職したので、差引一二名が増加したが、前記の如く、週休二日制実施の直後に従業員の増加がなかったところからすれば、右増加は、必ずしも週休二日制の実施によるものとは断定し難いこと、(ハ)さらに、被告会社における総人件費は、昭和四九年度が金三億九三七〇万八〇〇〇円、同五〇年度が金四億五六九七万八〇〇〇円、同五一年度が金四億九四九一万四〇〇〇円、同五二年度が金四億九九三八万三〇〇〇円と年々増加しているが、これに伴って、その売上高も、昭和四九年度が金一四億七九八四万四〇〇〇円、同五〇年度が金一五億二二一八万二〇〇〇円、同五一年度が金一七億〇〇五八万九〇〇〇円、同五二年度が金一九億八五八二万九〇〇〇円と年々増加していること、(ニ)そして、その売上高に対する人件費の割合は、週休二日制を実施した昭和五〇年度が約三〇パーセントであるのに対し、昭和五一年度は約二九・一パーセント、同五二年度は約二五・一パーセントであって、昭和五〇年度にくらべ、昭和五一年度、五二年度は却って減少していること、(ホ)したがって、昭和五〇年度ないし同五二年度において、被告会社の人件費が増加したことが原因で、その利益が減少したともたやすく断定し難いこと、以上の事実が認められる。

してみれば、被告会社が週休二日制を実施したために、被告会社の従業員が増加し、かつ、人件費が増加したので、その後被告会社の利益が減少し赤字決算になったとは到底認め難いから、本件労働協約締結後に、人件費の増加の点で、本件労働協約を破棄し得る程の事情の変更があったとは認め難く、右の点に関する被告会社の主張は失当である。

5  次に、被告会社は、週休二日制を実施した後は、被告会社の従前の顧客が他の業者に流れ、顧客、得意先の減少を招来し、人件費の増大による被告会社の労働生産性の減少に拍車をかけたと主張し、(人証略)中には、右被告会社の主張に副う趣旨の証言がある。しかし、前記4に認定した通り、被告会社においては、週休二日制を実施した昭和五〇年度以後においても、年々その売上高が増加しており、しかも、その売上高に占める人件費の割合は減少しているのであるから、右被告会社の主張事実に副う(人証略)はたやすく信用できず、他に右被告会社の主張事実を認め得る証拠はないから、右の点に関する被告会社の主張も失当である。

6  次に、

(一)  (証拠略)の結果によれば、被告会社は、昭和五一年度中に、被告会社の豊中工場に、被告会社主張の防音工事をした外、昭和五一年度及び同五二年度中に、機械の老朽化による機械取替えのための設備投資、人件費節減のための設備投資、食品衛生法上の設備投資等、被告会社主張の各設備投資をしたところ、昭和五一年度の右設備投資の合計額は合計金五三〇〇万円余であり、同五二年度の設備投資も金九〇〇〇万円以上であったこと(<証拠略>)、なお、右設備投資のなかには、被告会社の生産増強のために積極的になされたものもあること、以上の事実が認められる。

(二)  また、(証拠略)によれば、被告会社は、昭和五二年頃、その取引先に対する商品代金その他の支払に窮し、被告会社主張の如く、代金の分割払いや、一時その支払いの猶予を得ていたことがあり、昭和五二年二月分及び三月分の社会保険料の支払いを一部遅滞したことがあること、昭和五二年三月以降において、被告会社の従業員の賃金の支払資金に困ったことがあること、昭和五一年度以降は、従前程は簡単に銀行から融資を受けられない状況になったこと、さらに、昭和五二年度の従業員に対する夏季一時金の一部を銀行に対する定期預金にして支払ったことがある外、昭和五一年度は役員報酬を増額せず、昭和五二年四月から二年間は、役員賞与を支給せず、報酬も一〇パーセント減額したこと、なお、被告会社が右のような状況になった原因の一つには、原料が高騰したが、製品価格が上げられず、粗利益が圧迫されたことがあること、等の事実が認められる。

(三)  しかしながら、前記(一)に認定の設備投資のうち、少なくとも、機械の老朽化による設備投資や、人件費節減のための設備投資等は、その事柄の性質上、昭和五〇年九月の本件労働協約締結の当時に当然予測し得たことというべきであるし、さらに、被告会社が前記(一)に認定の如き設備投資をしたために、その資金繰が苦しくなったことは推測できるけれども、そのために被告会社が倒産する程の状況になったことを認め得る的確な証拠はない。次に、その資金繰等の点について、前記(二)に認定の如き被告会社の状況にくらべ、本件労働協約が締結された昭和五〇年当時における被告会社の状況がどのようなものであったかについては立証がないのみならず、前記(二)に認定の如き状況になったことについて、その予見可能性がなく、かつ、被告会社に責任がないことについて、これを認め得る的確な証拠はない。そして、以上の如き諸事実や、後記9に認定の諸事情に照らして考えると、前記(一)(二)の事実があるからといって、本件労働協約締結後に、これを破棄しなければ信義則上著しく不当であるという程の事情の変更があったとは到底認め難いのである。

7  なお、被告会社は、昭和五二年八月一一日当時、被告会社の多数の従業員で組織する黒川労組が週休一日制、週四〇時間の労働協約を締結しており、非組合員も黒川労組に同調することが予想されたとし、このことも、関単労が被告会社と締結している本件労働協約を破棄するための事情変更の一事由となると主張している。しかし、黒川労組が週休一日制、週四〇時間労働の協約を締結し、かつ、他の組合(ママ)員がこれに同調していることを理由に、事情の変更があったとして、関単労が被告会社と締結している本件労働協約を破棄し得るとすることは、憲法及び労働法上保障されている関単労の団結権、団体交渉権を否定することになるから、到底許されないものというべきである。よって、右被告会社の主張事実は、事情変更の一事由とはなり得ないものというべきである。

8  以上の外、被告会社において昭和五〇年一〇月一日から週休二日制を実施したために、その経営が悪化し、被告会社が本件労働協約を破棄したと主張する昭和五二年八月当時において、本件週休二日制を廃止しなければ、被告会社が倒産するような状況にあったとか、その他本件労働協約を破棄しなければ信義則上著しく不当である程の事情の変更があったことを窺わせる(人証略)はいずれもたやすく信用できず、他に右事実を認め得る証拠はない。

9  却って、(証拠略)を総合すると、次の如き事実が認められる。すなわち、

(一)  被告会社は、昭和四九年度には、合計約金五〇九一万五〇〇〇円の利益をあげたが、週休二日制を実施した昭和五〇年度は、前年度の約一〇分の一に当る約金五五三万九〇〇〇円の利益をあげたに過ぎず、さらに、昭和五一年度には、合計約金一四六七万五〇〇〇円の損失(赤字)を出したこと、

なお、右のように利益が減少し赤字を出すに至ったのは、原乳価格の値上その他原材料の高騰や、電気代、水道代、ガソリン代の値上りがその大きな原因となっていること、

(二)  しかし、被告会社は、昭和五二年度には約金一七四万六〇〇〇円の利益をあげ、昭和五三年度には約金二八四二万二〇〇〇円の利益をあげており、さらに、昭和五二年度には株主に対する中間配当(<証拠略>)さえもこれを実施していること、

(三)  また、昭和四九年度以降も、その売上高は、毎年増加し、週休二日制を実施した昭和五〇年度においても、その前年にくらべ約二・九パーセント売上高が増加した外、昭和五一年度ないし五三年度も、一一・六パーセントないし一六・八パーセント売上高が増加していること、

(四)  一方、被告会社の人件費は、前述の通り、年々増加しているが、その前年度に対する増加率は、昭和四九年度が三九・三パーセント、昭和五〇年度が一六・一パーセント、昭和五一年度が八・三パーセント、昭和五二年度が〇・九パーセントと年々低下しているし、また売上高に対する人件費の割合も、昭和四九年度が二六・六パーセント、昭和五〇年度が三〇・〇パーセント、昭和五一年度が二九・一パーセント、昭和五二年度が二五・一パーセントであって、昭和五一年度以降は、その割合が低下していること、

(五)  もっとも、売上高に対する人件費の比率も、同規模売上高の同業他社が、昭和五一年度は平均約一九・五パーセント(製造労務費、販売費、一般管理費の計)(<証拠略>)であるのに対し、被告会社は昭和五〇、五一年度とも、約三〇パーセント前後と高率であるけれども、被告会社自身においては、本件労働協約締結当時とその後被告会社が本件労働協約を破棄したと主張する昭和五二年当時との間には、大きな差異・変化がないこと、

(六)  そして、昭和五二年八月当時において、被告会社が本件週休二日制を廃止しなければ倒産するような状況にはなかったこと、

以上の事実が認められる。

そして、(イ)以上認定の諸事実、殊に、被告会社が週休二日制を実施したために人件費が増加してその経営が悪化したとは認め難く、また、昭和五二年八月当時、週休二日制を廃止しなければ被告会社が倒産する状況にあったとも認め難いこと、(ロ)前記2に認定した事実に、(人証略)によれば、週休二日制に関する本件労働協約は、被告会社が週休二日制を実施するよう努力する旨約した昭和四九年四月から約一年半の長い間に亘ってその準備をし、週休二日制実施後に被告会社の受ける経済的影響やその他の影響を慎重に検討した上で、締結されたものであることが認められること、(ハ)被告会社が本件労働協約を締結してからこれを破棄したと主張する昭和五二年八月までは、わずか二年が経過したのみで、その間に、予期し難い一般の経済事情の変動があったことを認め得る証拠はないこと、等の諸事情に照らして考えると、本件労働協約が締結された後に、これを破棄しなければ著しく信義則に反する程の事情の変更はなかったものというべきである。

10  そうだとすれば、本件労働協約は、事情の変更を理由に、昭和五二年八月一一日の通告により、同年八月三一日をもって破棄され、それと共に、同年九月一日から、原告伊沢、同川尻、同田中を除くその余の原告らの従前の労働条件が変更されたとの被告会社の主張は、その余の点について判断するまでもなく失当である。

(なお、被告会社の主張には、本件労働協約の破棄とは別に、事情変更を理由に、原告ら被告会社の従業員に対し、昭和五二年五月一一日ないしそれ以後に、被告会社の会社再建案を実施する旨通告し、その労働時間延長を含む別紙勤務表のうち下段の変更勤務表欄に記載の労働条件を変更する旨申入れたから、これにより、原告伊沢、同川尻、同田中を除くその余の原告ら五名の労働条件が変更されたとの主張も含まれているように窺えなくはない。しかしながら、被告会社主張の事情変更の認められないことは前記の通りであり、また、前記認定の諸事情からすれば、週休二日制に関する本件労働契約(ママ)その他一連の労働協約は現にその効力を有しているものというべきであるから、右被告会社の申入れにより、前記原告五名の労働条件が一方的に変更されるものではなく、右の点の主張は採用できない。)

五  次に、被告会社は、被告会社が黒川労組と昭和五二年八月九日に締結した新労働協約は、原告伊沢、同川尻、同田中を除くその余の原告らにも拡張適用されると主張している。

ところで、労働組合法一七条は、一つの工場事業場に常時使用される同種の労働者の四分の三以上の労働者が一つの労働協約の適用を受けるに至ったときは、当該工場事業場に使用される他の同種の労働者に関しても、当該労働協約が適用される旨のいわゆる労働協約の拡張適用を規定しているところ、右規定による労働協約の拡張適用は、一つの工場事業場に二つの労働組合が存する場合に、多数派の労働組合の結んだ労働協約が、少数派の労働組合の組合員の労働条件よりも有利な部分に限ってなされるのであって、少数派の組合員の労働条件の有利な部分については、その拡張適用がないものと解すべきである。けだし、もし右のように解さなければ、同一工場事業場に二つの労働組合が併存している場合に、少数派の労働組合が、団結・争議行為・団体交渉を通じて、有利な労働条件を獲得しても、右規定に基づき多数派の労働組合の締結した労働協約によって右有利な労働条件が引き下げられることとなって、右少数派の労働組合固有の団結権・争議権・団体交渉権をほとんど意味のないものにすることになるからである。

本件において、関単労が被告会社と締結している週休二日制に関する本件労働協約は、黒川労組が昭和五二年八月九日に新たに被告会社と締結した週休一日制に関する新労働協約による労働条件よりも、労働時間・休日の点において有利なものであることは明らかであるから、関単労の組合員が少数で、黒川乳業(ママ)の締結した新労働協約の適用を受ける労働組合員が全従業員の四分の三以上であったとしても、右黒川労組の締結した新労働協約は、関単労の組合員である原告伊沢、同川尻、同田中を除くその余の原告らに対しては、週休二日・週三五時間労働に関する部分について拡張適用されることはないというべきである。

よって、その余の点を判断するまでもなく、被告会社が黒川労組と締結した新労働協約が、関単労の組合員である原告ら(但し、原告伊沢、同川尻、同田中は除く)にも及ぶとの被告会社の主張は、失当である。

六  以上の次第で、本件労働協約や前記一連の労働協約は、現在も有効に存続しているものというべきであるから、原告伊沢、同川尻、同田中を除くその余の原告らは、別紙勤務表の上段の現行勤務表欄に記載の労働条件に従って就労する義務があるに過ぎず、同表下段の変更勤務表欄記載の労働条件に従って就労する義務はないものというべきである。

よって、原告伊沢、同川尻、同田中の訴は不適法であるからこれを却下し、その余の原告の本訴請求は、理由があるのでこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条九二条九三条一項に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 後藤勇 裁判官 千徳輝夫 裁判官 小泉博嗣)

勤務表

現行勤務表

1 年次有給休暇

(イ) 年次有給休暇の起算日は毎年一月一日とし、入社した翌年を初年度とする。

(ロ) 初年度の年次有給休暇は一〇日とし、勤続一年増す毎に一日加算する。但し二〇日を限度とする。

(ハ) 入社年度における年次有給休暇は入社後二ケ月を経過した残りの月数に一ケ月に一日の割合で与える。

2 すべての女子労働者を対象に生理休暇を三日間とする。

3(イ) つわり休暇として受胎から産休に入るまでの期間に三週間を限度として必要に応じて与える、つわり休暇は有給とする。

(ロ) 産前休暇を予定日より計算して八週間与える。実際の出産が予定日より早くなっても出産日をもって産前休暇を終了とする。又実際の出産が予定日より伸びた場合、出産日まで産前休暇を延長する。

(ハ) 産後休暇を出産日の翌日より八週間与える。

(ニ) 産前産後休暇はすべて有給とする。

4 夏期休暇は一律五日間とする。

5 労働時間

一日七時間労働を基礎とした一週間三五時間の労働時間で週休二日とする。

6 慶弔休暇

(イ) 本人の結婚の場合

七日間

(ロ) 親族の喪の場合

(1) 配偶者、父母、配偶者の父母、子の場合

七日間

(2) 祖父母、配偶者の祖父母、兄弟姉妹、孫子の配偶者の場合

五日間

変更勤務表

1 年次有給休暇

(イ) 同上

(ロ) 初年度の年次有給休暇は六日間とする。他は同上

(ハ) 入社年度は年次有給休暇は与えない。

2 生理休暇は無給とする。

3 つわり休暇、産前・産後休暇は無給とする。

4 夏期休暇は三日間とする。

5 労働時間

週四二時間労働とし、週休一日制にする。

6 慶弔休暇

(イ) 本人の結婚の場合

五日間

(ロ) 親族の喪の場合

(1) 配偶者、父母、配偶者の父母、子の場合

五日間

(2) 祖父母、配偶者の祖父母、兄弟姉妹、孫の場合

三日間

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
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